遊びと、学びと、その進化と。〜個別支援を考える〜③
娘ちゃんのパズルの進化は、さらに進み、今は、これまでのパターン・順序ではないやり方でパズルを楽しんでいます。
そろそろ、新しいパズルを買ってあげようかな!またダイソーで・・・
さて、今回は、1の、
「娘ちゃんがキティのパズルができるようになるまでの、彼女の実態と、支援の全ステップ 〜「遊び」=「学び」〜」
を踏まえて、考えたこと・分析を書いてみます。
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1 娘ちゃんがキティのパズルができるようになるまでの、彼女の実態と、支援の全ステップ 〜「遊び」=「学び」〜
2 実態と支援の分析!!
3 教室の個別支援にどう活かす!?
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2 実態と支援の分析!!
☆分析① 「意欲」
これが、最重要項目かなと思います。
パズルは、彼女にとって、「勉強」ではなく、
最高の「遊び」であるということです!
彼女は、パズルという遊びに、「知的な喜び」を感じていたのではないかな?と思いました。「難しい、できない、でもやりたい。」それは、楽しから、の他に何もありません。
「難しい・できない」・・・だけでは、普通はどう考えても、やらなくなります。
でも、何度もネバーギブアップで挑戦してきたのは、楽しいから。
「できた」と言う手応えと達成感を感じ、その楽しさを知ったからだと思います。
おそらく、保育園の簡単なパズルの体験がそれを生んだのでしょう。
やっぱり、スモールステップは超大事です。
楽しんでやれるスモールステップ。
今考えると、娘ちゃんに差し出していた支援も、彼女が無理なく楽しくできるということを最重視してやっていました。
だって、やっている最中は、遊びのお手伝い、としか思っていなかったから。
「学ばせよう」なんてこれっぽっちも思っていませんでした。
なので、こんなにできるようになるとも思っていませんでした。難しすぎたな、と思っていたくらいですから。
☆分析②「支援」
娘ちゃんに行った支援を段階でまとめると、
やってみせる。
→ 一緒にやる。
→ 誘導してやらせる。
→ 手助けする。
→ パターン化する。
→ 徐々に手放す。
→ ヘルプを出されたら手助けする。
→ できたことを一緒に喜ぶ。
となります。
その時、どのように思考していたかというと、
「つまづき」を把握する
→ 「つまづき」にあった手助けをする
→ 「つまづき」の段階的な克服を図る
→ 「つまづき」を「つまづき」と気が付かせない、さりげない手助けをする。
という感じでした。
「つまづき」が明らかになり、そこに毎回つまづいてしまうと、パズルが嫌いになってしまうと思いました。
「つまづき」の度合いが低くなると、そのちょっとした「つまづき」は、自分で克服できるレベルになりました。
そして、「自分で克服できた」ということが、面白さに繋がったのではないかと思います。
今回感じたのは、
「スモールステップは、その階段の段差が本当にとっても小さいもの」
だということです。
もはや、ステップではなく、なだらかな曲線。繋がっている。
「用意されたステップを上がるもの」ではなく、
「自分だけのなだらかな坂を、少しずつ上昇していくもの」でした。
☆分析③「共にいるスタンス・在り方」
一緒に遊ぶときに(支援する際に)考えていたのは、彼女が「つまらない」、
と思わないようにすることです。
彼女には難しすぎると思っていたので、申し訳ないなと思いつつ、一緒にやり、手助けすることで、楽しくできるようにしたいと思っていました。
そして、この時間を、一緒に楽しもうとしていました。
彼女がやりたくない、と思うのなら、いつでもやめていいと思っていました。
できたら、「褒める」ではなく、一緒に喜びました。
娘ちゃんの、「やったー。」という言葉、声、最高に可愛いのです!!
そして、その声と表情は、必ず、私に向けられていました。
「ママも、喜んで。」
そう言っているように感じました。
「褒めて」ではなく、「一緒に喜んで」と訴えているようでした。
そして、一緒に喜んだ時の、弾ける笑顔、表情。
こういう瞬間を共有することが
「一緒に成長を感じ、喜ぶ」
ということなんだろうと思いました。
今回のこの分析では、
「これまでわかったつもりになっていたこと」
が、一回全部ガラガラ崩れて、
再構築されたような感じがしました。
さて、次はこれを元に、実際の教室の支援について考えていきます。
実家の、娘ちゃんのおともだち。