「ママ先生✖️ライフコーチ✖️ファシリテーター」の徒然日記

ライフコーチであり、ファシリテーターであるママ先生の、思いついた徒然を不定期で綴っていきます!

Q&A(その2) 〜シナリオを用意しないということ〜

先日のQ&Aの記事に対し、
さらにご返答・ご質問をいただきました。ありがとうございます!
そして、その質問も、とても考えちゃう内容だったので、
再びこちらで書いてみることにしました。
 
Q
ーーー「こちらが設定した道を歩かせる」ということをやめることです。
伝わりますか??----
これだけが、分かりません。別のゴールになってもよしとするということでしょうか。
例えば国語などで、読み取ってほしい気持ちがなかなか出てこなかった場合などは
どうするのでしょう。次の時間に、「こちらが設定した道」を子どもの実態に
あわせて変えればよいのでしょうか。
 
A
確かに、わかりづらい表現だったと思います。すみませんでした!
 
☆「こちらが設定した道を歩かせる」ということをやめる
 
これは、自分自身が通ってきた道です。
以前、私はバリバリの研究校にいて、社会科を研究していました。
また、さらに、市の社会科研にも所属し、研究授業をしたり、実践提案をしたり
していました。関東ブロック大会というのにも実践提案を引っさげて行かせてもらったりもしました。
 
そこで素晴らしい先輩方に恵まれ、たくさん教えていただきました。
今でも、その時の学びは、自分の授業のベースになっているような気がします。
 
ただ一つだけ、当時目指していたものから、考え方が変わったことがあります。
それが、
☆「こちらが設定した道を歩かせる」ということをやめる
 ということです。
当時研究していた社会科では、
「子どもたちだけで問題解決のサイクルを回していくという探究活動」
を行なっていました。
すごいことです。その魅力にとりつかれました。
しかし、一つだけ、学んでも学んでも、とても苦しいことがありました。
それは、
「クラス全員で一つの学習問題を決め、全員が同じその学習問題に向かって本気で取り組むようにする」
ということです。それが、一番難しかったと思います。
そして、そんな学習問題を、教師側で熟考して用意し、その問題に子どもたちがたどり着くようにするのです。そのための手立て、資料提示について散々考えました。
 
その結果、その手立てや資料提示などによって子どもたちの興味関心思考は
動いていきます。さらに、子どもたちはそのような教師の期待に応えようと動きます。
そして授業では、教師の描いたシナリオ通りに進むようになっていきます。
 
ある大先輩の研究授業では、子どもたちが、まさに先生の用意したシナリオ通りに発言し合い、授業が収束するのを目の当たりにしました。
子どもたちを正確に把握しているんだなあ!とすごくその先輩を尊敬したのと同時に、軽い違和感も覚えました。
「これが、目指したいものなのかな。」
という感覚です。
 
子どもたちは、うまく立ち回れるようになる。学習問題も、みんなで作れる。
でも、本当に、みんなが本気で取り組みたい学習問題になっているのかな?
みんなで合意形成し、一つの学習問題を作り出すことはできる。
それに対して、問題解決のために探求していくこともできる。
考えてみれば、すごいこと。
しかし、「全員が本気で追究したい問題」という部分は、達成しているだろうか?
ある程度合意形成はできる。しかしその陰には、妥協や飲み込んだ声はないだろうか?
 
当時の単元計画も、クラスの子たちの実態を踏まえ、一人ひとりの発言を想像しながら作りました。しかし、
「クラス全員で一つの学習問題を決め、全員が同じその学習問題に向かって本気で取り組むようにする」
という部分で、予定通りに進まない、ということを何度も経験しました。
予定通りに進んでいても、子どもたちは本当に
「全員が本気で追究したい問題」
と感じているだろうか。
という不安はいつもつきまといました。
こちらの計画に合わせて動いている子がいるんじゃないだろうか、と。
 
その後、社会科の研究から離れ、今は、少し違うことを考えています。
「探究とゴールは一人ひとり違う」
ということです。
 
「学び」は、個別に学んでいても、協働学習していても、最後には、
「個に還る」ものだと感じています。
「学び」や「学び方」は、一人ひとり違う。
それに合わせた多様な「教え方」を教師は身につけ、実践できるようにしていく必要がある。一つの授業の中でも、です。
それを前提として、単元計画を立てています。
なので、単元計画は、言ってみれば、
「子どもたち(クラス)の思考の流れを表すもの」
というよりも、
「学びの環境設定・しかけ」
というふうに考えています。
子どもたちがそれぞれの学びのゴールにたどり着くようにするための、
学習環境・しかけをどう作り、運営していくか、
というところに主眼を置いています。
 
長くなりました。
なので、ご質問にあったことを、お送りした 国語「お手紙」の単元でお答えすると、
 
Q 例えば国語などで、読み取ってほしい気持ちがなかなか出てこなかった場合などは
どうするのでしょう。次の時間に、「こちらが設定した道」を子どもの実態に
あわせて変えればよいのでしょうか。
 
読み取ってほしい気持ちが出てこなかった場合は、
出てくるように手立てを打つか、または、教えちゃいます!
 
「お手紙」では、読み取った気持ちを各自が「表現する」というところがゴールなので、そちらが達成される方に力を注ぎました。読み方がまだまだ未熟な子達でしたので、読み取れない部分もたくさんありました。しかしその都度、つまづいたら、そこに時間を取ることはしませんでした。ゆくゆく、自分たちでしっかり読み取れるようになっていけばいいと思ったからです。そのための一過程なので、どんなふうに読み取るのか、しっかりそれをイメージさせることが大事だと考えました。なので、たくさんヒントを出しましたし、教えたりもしました。
 
「特定の気持ちなどを読み取る」ことがその単元の主目的ならば、
子どもたちがそれを「読み取る」ことができるように、こちらが「読み方」のスキルをしっかり教える必要があると思います。
 
その上で、感じ方や思考は一人ひとりの経験によって違って当たり前なので、
読み誤りは正す必要がありますが、その違いを全体で味わいたいと思います。
その中で、先生の感じたことを考え聞かせのように披露することも、
「読み方」を教える一つの手立てになると思います。
 
以前、「ものがたりのさくしゃになろう」という書く単元で、
子どもたちが予定外に物語の文体が書けないという事態になった時は、
急遽、計画に「物語の文体」を指導する時間を入れ込みました。それにより、一気に理解が進み、書けるようになりました。

hiwahiwa3.hatenablog.com

 
こちらは、昨今・・・というよりかなり前から言われている、
「指導と評価の一体化」
だと思います。こういう変更は当然ある、と想定しておくことが、
計画を作る上でも大事かと思います。
 
 
お答えになりましたでしょうか?
またまた、自身を振り返る良い機会になりました。ありがとうございました。
 
 
湘南とは海の色も砂の色も違う!この後、いっぱいサンゴや貝で遊びました。

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