『遊びが学びに欠かせないわけ』第10章 「最悪の母親と信頼にあふれた子育て」
「責任感は他者との関わりなしでは育ちません。責任能力を育てたいなら、責任感をもてる自由を提供しなくてはなりません」
「自分自身で成長を導き、世界を自分で発見できるようになることを可能にすること」
「不確実な時代の失業に対する最も良い対策は、親や教師に駆り立てられるのではなくて、「自主的に行った経験を通して身につける資質」だということが真実」
「子どもたちは、学校の中にいようが外だろうと、自由度を失い、よりコントロールされ、自ら始める冒険は奪われます」
「人の特性を育成しようとするときに、最も確実な方法はそれをすでに持っているかのように扱うこと」
「子どもが遊べて探索できる安全な場所や機会を見つけるか、作り出す」
ここまで、読み進めてきて、明らかに自分に変化が生まれたことを感じる。
途中で、リフレクションにも書いていたけど、自分の授業に対する違和感を感じていた。それは、まだまだ、私が指示してやらせている学習が多いと言うこと。
もちろん、内容は結構工夫しているつもり。でも、でも、それにしても、だ。
学び方を身につけさせるという考えは、間違っていないと思う。
しかし、その割合を、もうそろそろ減らしていく段階に来ている。
そして、今、変化と感じていることは、自分の授業を、根本から見直したいという思いが生まれたことだ。
つまりは、この第10章のラストに描かれていた、
「子どもが遊べて探索できる安全な場所や機会を見つけるか、作り出す」
ことに、もっと(これまでも考えていたつもりだけど)真剣に取り組みたいということ。
筆者は、これは、現在の公立等の学校では無理だと言っている。
サドベリースクールや、ホームスクーリングや、アンスクーリング、
そして、地域のコミュニティづくりがそれに当てはまると言っている。
しかし、私は、今の自分の立場で、ホーム(一、公立校教員としての立場)で、
ここに挑戦していきたいと思う。
それは、訳者の吉田さんもあとがきで提起している。
可能だと書いてくれている。私も、そう信じて、挑戦していきたい。
ここで感じた違和感と変化をそのままにもち、2学期からのプログラムデザインを練りたい。このデザイン作業が夏休みのワクワクする自分自身のチャレンジになりそう。
そして、同じような志をもつ仲間がいる!本当に素敵なこと。
ますます情報交換しながら、一緒にやっていきたい。