本音で語り合うこと 『オープニングマインド 子どもの心をひらく授業』から生まれた変化1
何よりも大きい変化だと感じるのは、
「子どもたちが本音で語り合うようになった」
ということです。
もちろん、常に、全員が、というわけではありません。
でも、徐々に、その時間や人数は増えてきています。
以前、「ごんぎつね」のサークル対話について書いたときに触れたのですが、
「教師の用意した答えを、教師が期待する答えを探して言おうとするのではなく、
本当に自分たちの考えたことを、表出するようになった。
その結果、教師の想定を子どもたちが軽々と超えていく学びの場が生まれた。」
という感じです。
そこに至るプロセスでどのようにオープニングマインドを活用したかというと、
「教師の介入をとことん無くし、子どもたちが自分たちだけで話し合いをすることができるように場を整え、対話の仕方を教え、練習を積んだ。」
ということです。
具体的には、まずサークル対話の場の設定としては、
○椅子でクラス全員がサークルになる
○くじで決めたペアと隣り合うように座る(朝の会と同じ)
という感じです。これは、春から朝の会で行っていたことの椅子ありバージョンなだけなので、そんなに変わりありません。
そして対話の指導は、オープニングマインドに出てくる先生方の実践をとても参考にしました。
4年生向けに簡単に要旨をまとめたものが以下の内容になります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
☆対話とは
みんなで本音の話し合いをして、新しい価値を生み出すもの
- 答えはない。みんなでつくる。
- ちがった考えをもっていい。それが価値かち。
- 話し合いをうまく進めるのはみんなの責任せきにん。
- 発言しない人がいたら、話してもらう
(みんなが参加し、協力する責任せきにん)
- 先生を見ない。みんなを見る。
- さんせい・反対どちらも、必ず理由を言う
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
これに加え、「違い」の価値についても教えました。
これも、オープニングマインドからです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
☆「違い」がないと創造性そうぞうせい(生み出す力)が落ちる
- 「ちがい」があるからこそ、学ぶことができる。
- 対立は、価値がある!そこから、多くを学べる。
- 思いやりと共感性が、力をのばす。
共感性…「うんうん、なるほど。」
「分かるなぁ。」
- 「ちがい」を面白がる。
「ヘェ〜!そういう考えもあるのか。なるほど!」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
さらに、同じように
☆傾聴
☆対話によって頭脳は育てられる
☆こんな話し方をしよう
なども、オープニングマインドから要旨をまとめ、子どもたちのアセスメントを行いながら、タイミングを見計らって教えました。
初めのミニレッスンで対話について教え、
その後実際に「ごんぎつね」でサークル対話を行いました。
回数を重ねるごとに、子どもたちの対話はレベルアップしていきました。
初めにも書きましたが、
それによって大きく変化していったのは、
「子どもたちが本音で語り合うようになっていった」ということです。
そして、「みんなの考えを聞くことで、自分と違う考えから学ぶ」ということを
楽しむようになっていきました。
子どもたちの様子を見ていれば、それが一目瞭然でした。
ごんぎつねのサークル対話を楽しみにするようになり、
話を聞くときの姿勢が前のめりに変わり、
表情が生き生きとしたものに変わりました。
そしてそこで話し合われる内容は、教師の想定を超えていきました。
見ているこちらもワクワクしました。
子どもたちは、ごんぎつねの振り返りに、
「ごんぎつねが終わってしまうなんて寂しい」
「ああ、サークル対話楽しかった」
「ごん、兵十ありがとう!」
などと書いており、しばらくごんロス状態が続いていました。
最後の問いである、
「ごんの人生は幸せだったのだろうか?」
の話し合いの後には、子どもたちはしばらくハイテンション状態
でちょっと落ち着かないくらいでした。
そんな学びを、自分は子どもの頃経験したことがあっただろうか?
いや、なかった気がするな〜・・。
対話の可能性を感じました。
2学期はこの本で「楽しみ」&「学び」ました☆ 『オープニングマインド 子どもの心をひらく授業』
「ごんぎつね」で本格的に学びに活用したサークル対話ですが、
子どもたちに「対話」について教える際、かなり参考にさせてもらった本があります。
それが、この本。
『オープニングマインド 子どもの心をひらく授業』ピーター・ジョンストン著
です。
訳者の吉田新一郎さんより、夏休みにデータを送っていただき、読ませていただいたのがきっかけです。
吉田さんの訳本は、かねてから大ファンで、このブログでもたくさん触れています。
2学期にバンバン実践し、手応えを感じた「対話」は、この本から学び、実践したものでした。
本について触れていなかったのは、まだ発売前だったから控えたほうがいいかな〜、と思ったからでした。
今回、初めて献本をいただき、いよいよ発売するということなので、
大変お世話になった本について、ようやく書くことができます☆
(・・・と言いつつ、もっと前から書いていいよと言われていましたが、
余裕がなくついつい発売直前・・)
この本は、『言葉を選ぶ、授業が変わる』という書籍の続編として書かれたそうです。
この本と出会い、ビビッときました!「これだ!」と思い、
夏休みの後半に、この本をもとに2学期のひとり作戦会議。
娘を義父母に預かってもらっている間に、時間と戦いながらスタバにこもってました。
夏休み明けからは早速、サークル対話についての学び場づくりを開始。
教師が「褒めない」というスタンスにも共感し、
子どもたちのマインドセットを育てることにも日々意識してきました。
サークル対話は、「ごんぎつね」だけではなく、道徳や学級の問題解決の場面でたくさん経験し、子どもたちが進んでやるようにもなりました。
3学期の今、子どもたちがどう変化したか?というと・・・
○子どもたちが、本音で語り合うようになった
○子どもたちが、自分たちで対話を活用し始めた
○子どもたちが、公平さを意識し、みんなの考えを聴きたがるようになった
○子どもたちのマインドセットがダイナミックマインドセットに変化し始めた
結構大きな変化だと思います。
一枚、殻を破ったような・・・・
次回から、それぞれについて詳しく書いてみたいと思います。
忙しすぎる子どもたち
昨日、中学校の家庭科の先生とお話しする機会がありました。
小学校での家庭科の学習内容と実習内容が知りたいということから始まった会話ですが、行き着いた先は、子供たちの多忙さが深刻であるということでした。
お味噌汁を作らせたら、味噌を溶かずにそのまま入れたとか。小学校でやってないの?!と思ったそうで、、。もちろん5年生で味噌汁は作ります。でも、そんなに何度も作るわけではなく、生活経験として乏しいのではないかと思います。
私は、子供たちの放課後が忙しいということを話しました。保護者や子どもたちの話しを聞いていると、習いごとや塾に複数通う子が珍しくなく、そこから帰ってきてから宿題をやって、、、ということから、、子どもたちが忙しくて、家での手伝いなどをやる時間はあまりないのではないでしょうか、と伝えました。だから、小学校で一度だけ実習したことを中学校では覚えていない、ということがあるのではないかなと思ったのです。
すると、中学校の実態をお話ししていただき、衝撃でした!
中学生はもっと忙しい!!
中学生は、部活で遅い時は18:30までやっている部活もあるそう。
その後帰宅し、塾へ。
塾から、遅い子は22:00ごろに帰宅し、入浴やらなんやら。
プラス学校の宿題に塾の宿題。
就寝は深夜になる子も多いとか。
ある中1の子が、その先生に、
「先生、もう無理だよ、、、」
と言ったそう。
市教委が家庭学習を推進していることから、中学にも宿題を出すよう御達しがあったとかで、さらに子どもの首を締めているのだとか。
もちろん、家の手伝いどころではありません。
聞いていて、胸が締め付けられるような思いがしました。
日本の子どもたちはなんて忙しいんだろう。
疲弊してしまう。それで幸せなんだろうか?
聞けば、ほとんどの子が塾に行っているとか。
そんなに塾に行く必要があるんだろうか。
私は一度も塾というものに自分が行ったことがないので、わからないです。
でもウチの夫からすると、みんなが行っているから、行くのが当たり前なんだそうで。
でもでも。
それでは、家族の団欒や、家族で語り合う時間は?
読書に没頭する時間は?
ボーっと考え事をする時間は?
友達とお菓子食べながらおしゃべりする時間は?
好きな芸能人が出るテレビを見る時間は?
自分の時間は?自分のやりたいことをやる時間は?
中学生という多感な時代に、自己形成における大切な成長の段階に、その時間がないというのは、大きな問題なのでは、、、?
少なくとも、娘ちゃんには、そんな時間を思う存分味わって欲しいし、ともに時間を過ごしたい。
余裕のない子ども時代を作ってしまっているのは、私たち大人なのでは、、、?
深刻さを感じます。どう思われますか?!
サークル対話で「道徳」〜対話のスキル進化中!〜
国語「ごんぎつね」でサークル対話を経験した子どもたちですが、
道徳でも、サークル対話を行っています。
つい最近の、今週の道徳でも、オールサークル対話で行いました。
教材は、Eテレの番組動画で、「u&i」の「ちゃんとやって!」です。
これ、多様性・共生がテーマの番組で、良い作品ばかりなんです。
クラスの実態にとても合っていると感じ、使ってみました。
「だれもが仲良く、居心地のよいクラスにするために大切なことは?」
という問いです。
やり方としては、ごんぎつねの時のように椅子でサークルになって座り、いつもの授業のように、番号順に考えや感じたことを話していく、という単純な進め方で行いました。
途中、「話したい人どうぞ」と順番でない子にも話させました。(話したそうな子がいる時。)
「動画視聴前」、「動画の途中で2度止めて」、「最後まで視聴して」、と計4〜5回、
ペアトークを入れた後に、順番で話すようにしました。
ラストの伝え合いの後、
「自分で考えたり、友達の意見を聞いたりして今日学んだこと、そして、これから自分にできること、を話そう」
と再度ペアトークで振り返りを行い、
各次席に戻って道徳ノートに書きました。
授業を行ったのは、一昨日。
そして、授業の最後の5分で書かせた子どもたちの道徳ノート(振り返り)を読んだのは、昨日なんですが。
ちびまる子ちゃんのスタンプ片手に、振り返りを読んだら、
ほとんど全員が、
「多様性を受容し、みんなが楽しく生活していくことができるよう、これから自分が意識していきたい」
というような、
この授業の本質を捉えた振り返りを書くことができていて、
仰天しました!
もちろん、表現ややろうとしていることは人それぞれ違います。
しかし、どの子も、その子なりに考え、大切なことを学び取り、自分にあった方法でこれからやっていきたい、というようなことが書かれていました。
「ええ!?そうなの、こんな風に学んでいたの?!」
とびっくりしてしまいました。
授業の中の発言では、そうではなかったから。とても意外でした。
もちろん、発言でも、そのように多様性を捉えたことを言う子は複数人いました。
しかし、そこまで捉えきれていないと思われる発言も多くあったので・・・・。
だから、
授業が終了した段階では、主題をしっかり学びとれた子は半分いないくらいかな・・・?
と予想していたのでした。
それが、9割くらいの子が、主題を捉えた内容で書いていました。
これは、それまでにないことでした。
では、どうしてそれが生まれたか!?
考えてみました。
理由は、おそらく、2つ。
まずは教材が良かったということ。わかりやすく、子どもたちの実態にあっていたし、面白かった!!
これはぜひ今後も使用していきたいと思いました。
もう一つは、視聴時間以外はほぼ、子どもたちの対話で進めたことで、
全員が少なくとも一回、考えを話したこと。
さらに友達の意見を聞いたことで自分の考えを深めた子たちが自由に話をしていったこと。
その対話の場から、学ぶということができていたということじゃないか、と。
自分がそこで意見を表明すると、参加度合いが一気に上がりますよね。
真剣に聞こう、という気持ちになります。自分もそう。
周りの人たちが、親身になって聞いてくれる雰囲気があったりすると、
なおさらそう!
全員発言に全くこだわっていなかったのですが、
それによる効果、なのかもしれないな〜、と、
リフレクションを書いてて思いました。
面白い!!!
ちょっと、この辺り、今後も追究していきたいです。
FUNFUN3DAYSその後〜学年後半戦に差しかかるとこんな感じになってます〜
今の、自立学習と係活動の状況を書きたいと思います。
自立学習を見ていて最近感じるのは、
漢字学習が安定してきたなあ〜ということ。
1学期は、既習の漢字を書けないということや、書字の雑さに
大きな課題を感じ、どうしたものかと悩みましたが・・・
根気よく自立学習でコーチングを続けてきて、ようやく11月の今、
安定してきたなあ〜と感じています。
多くの子が、文字を丁寧に書き、漢字の練習の仕方を覚え、
どんどん先に学習を進めるようになりました。
2学期のまず初めの漢字50問テストは、平均85点くらいかな。
一学期の最初は、驚愕の結果だったので!?(笑)
その成長度合いに感無量です!!
文字を丁寧に書く、というのは、大事にして行くと、やはり、漢字の習得率が上がります。
ちなみに、昨年度の2年生は、1年次からの持ち上がりだったためか、3学期には漢字のテストはほとんどの子が90点以上でした。
自立学習プリントの提出・進行状況もようやく安定。
ここまでくると、一気に教師側は楽になります。直しも減り、大きい花丸を書けばいいだけになります。積み重ねの効果を実感します。
係活動は、これは、ほんっとうに時間を取ってやるべきだな〜と感じます。
1学期からやっているのですが、
やり方は、
①自分が大好きなことで
②クラスみんなのためになること
という2つの条件を満たせば、係を立ち上げてOK、という
単純明快なもの。
あまり大人数になるとやりづらいので、大体3〜5人くらいの編成にしてます。
2人のとこもあるかな。
今あるのは、手芸、工作、図書、室内ゲーム製作、レク、お芝居、ポスター、音楽、お笑い・クイズ・・・あたりかな。
休み時間や自立学習タイム(自分の課題を終えた子たち)、学活の時間などで勢力的に活動してます。
先日の土曜参観でも係活動の時間を取ってみました。
お芝居係が「一休さん」の劇を発表したり(なかなか上手で、大道具もすごかった)
各々が活動中に、レク係が次のクラスレクについてみんなにお知らせしたり、
それぞれがそれぞれの場所で思い思いに時間を惜しみながら活動してました。
レク係が
「次回のクラスレクにはお芝居係は参加しません」
とお知らせすると、
「みんなが参加しなかったら、クラスレクの意味がないんじゃないですか」
という質問が出て、
「でも、クラスの仲を深めるのが目的だから、参加したくないという人を無理やり参加させるのは逆効果じゃないの」
などと、議論が始まったり。
保護者が見てるとか、お構いなしでやってました(笑)
手芸係は、クリスマス飾りのマスコット作りにいそしみ、
保護者が一緒に座って教えてあげていたり・・・
工作係はクモやキャンディーなどの可愛い飾りを作って、糸で教室入り口に吊り下げて飾ったりしてました。
楽しんでるな〜
いいな〜
私はそれを横目で見ながら、教室収納の整理をしてました。
色々それなりにあるけど、
着々と成長を感じる2学期です!
教師の想定を軽々と超えていくこと 〜サークル対話の良さって?〜
ごんぎつね を終えて、あたらめて考えたこと
<サークル対話の良さって?>
一言で、
「教師の想定外の子どもの学びを生み出す、引き出す」
ということかと感じました。
いわゆる、教師の介入をとことん無くし、子どもたちが自分たちだけで話し合いをすることができるようにする、サークル対話。
その良さは、子どもたちの素直な思考を引き出すこと。
それに尽きるかなと思いました。
教師の介入がないということは、教師の意図するものを、子どもたちが探さないということ。
先生のもっている答えを見つけようとしない、ということ。
本当に自分たちの考えたことを、表出する、ということ。
今回のごんぎつねでは、
「最後に自分だと気づいてもらえたから、幸せ」という考えと、
「気づいてもらえたから幸せ」ということを思っていない、
そもそも「気づいて欲しい」という思いをごんは持っていなかった、
という子たちの論争が生まれたことかと思います。
教師の間では、「気づいてもらえたから幸せ」という
考えに至るだろう、という予想にとどまっていました。
しかし、クラスの子どもたちから出てきたのは、それだけでなく、
栗や松茸を持って行っていた時のごんの思いとして、
「兵十は喜んでくれているだろうか」
「兵十にまた迷惑をかけていないだろうか」
「兵十に、おっかあの分まで幸せになって欲しい」
「兵十が一人ぼっちになった寂しさは、ごんが一番よく知っている。償いを続けることで、兵十に幸せになって欲しい」
などなど・・・・
という、「気がついて欲しい」「お礼を言って欲しい」「友達になりたい」「受け入れて欲しい」
というような、見返りを求めるもの、
とは違う、
見返りを求めない、
「償いの本質=その人に幸せになって欲しい」
というものが、子どもたちから生まれたこと。
それこそが、サークル対話の価値だと思いました。
子どもに任せる、教師が介入しない、ことの価値。
教師の想像を超えた、想定を超えた、もっと言ってしまえば、教師の能力を子どもたちが軽々と超えていくような・・・
それを、ごんぎつねの学習を振り返り、改めて感じました。
もちろん、初めからうまくなんかいきません。
だけど、辛抱する!
少しずつ、手立てを打ち、積み重ねる!
そうすることで、確実に子どもたちは対話ができるようになっていく。
それも、実感しました。
子どもたちの力を信じて、教師が試行錯誤しながら
続けるか、
やはり、教師がいないとダメだ(介入が必要だ)と
諦めるか。
そこが、分かれ道だな〜っと
感じました。
以下、ムスメ作、「たぬき」こちらも、ママの想定を軽々と飛び越えていました、、、。
首藤先生ビビッと語録〜首藤先生をお招きして〜
昨日、友人と主催する学び(遊び)サークルに、千葉大学名誉教授の首藤久義先生に、お越しいただきました!
首藤先生は、国語の教科書の編纂に長い間たずさわっていらっしゃるかたで、もう、国語の大御所!です。すごい方です!
今回、首藤先生にお会いできるということで、ワクワクドキドキして参加(運営)しました。
イベントタイトルは、
「育つのは自分〜プロジェクトベースの国語学習から考える〜」
首藤先生のお話を伺っていて、ビビッときた言葉がたくさんあったので、
勝手に、「首藤先生ビビッと語録」にまとめてみたいと思います。
〜 首藤先生ビビッと語録 〜
「勉強は自分のため。したくない子はしなくていい。」
・・・究極の名言。まさしく。勉強はしたいからする、面白いからする。が一番しっくりくる。教師としては、これを子どもに経験させたいところ。だからこそ、「子どもが本気になって「やりたい!」と思うものをやる。
「自分の頭で考え、自分の心で感じる。」
・・・なんというか、シビれました・・・。言語力は、そのために必要なもの。自己表現のためのもの。しっかり、自分の頭で考える。そして、心で感じる!それを、言葉にする。素の、正直な、むき出しの自分を表現する、という感じ。そういう、一、人間でありたい。
「教室」ではなく、「学室」
・・・ああ、いいなあ〜って思いました。学室。学室に行く、の方が、数百倍、いい。頭の中が、カラフルになる。
「言葉は変わる。何が美しく、正しい日本語かは、一人ひとり、違う。伝わることが大切。」
・・・国語の大家のセリフとは思えない、いや、だからこそ重い一言。言葉は、そこに込められた想い、想いの強さ、オリジナリティ、思慮深さ、新鮮さ、インパクト、清らかさ、個有の意味、ストーリー・・・・そういったものが、言葉を生かす、のかもしれない。それこそ、「自分の頭で考え、自分の心で感じ」たもの、そのもの。
「ちっちゃな奴とは喧嘩しない。」
・・・最高にカッコいい。名言。わたしもそうする。
「ぜひ見捨てて欲しい」
・・・見捨てる、見捨てないって、なんだ。わたしが抱いていたモヤモヤへの痛快な答え。
「学びと学びをつなげるのは、子ども自身」
・・・その通り。どの学びとどの学びがつながるかは、その人次第なのだ。その人の価値観、嗜好、状況・・・。学びは、出会いそのものなのだから。
「書きたくないときは、書かない。それが、書くのがうまくなる1番の方法。」
・・・自分自身に当てはめると、まさにそう。毎日書く、という取り決めは、全く自分にとってナンセンス。(あ、リフレクションは、別だけど)
ブログなんかは、ビビッときたときに、書く。書きたいものがあるときじゃないと、書けない。当たり前のこと。自分がそうなのに、子どもに必ず書けというのは、さらにさらにナンセンス。「書きたいときに、書く」これが、王道の王道だ。
「プロジェクトベースじゃなくていい。」
・・・これもビビッと。何かの技法、授業スタイル、にしばられない。目の前の子どもが授業スタイル。これ、真髄かも。
「一人ひとりに応じた内容。一人ひとりに応じた分量。」
・・・これに尽きる。「山ほど、実践例は、ある。」その通りだろう。目の前の子どもの数だけ、実践例は生まれるのだから。
首藤先生には、今後もぜひ、たくさん教えていただきたいと思いました。
勝手に学室の一員気分です。
ありがとうございました!